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私は、反原発を望みます。

2011年3月11日から、半年が経とうとしている。それまで「福島県」というと、「会津磐梯山」があって、自然が豊かなところ。どちらかと言えば、関東と東北にはさまれて、目立たない地味な印象しかなかった。そこに危険な原子力発電所があることも知らなかったし、ましてやそこから東京の電力が供給されていたことすら、知らなかった。

そして今、福島県は、「フクシマ」として世界に知られることになった。「ヒロシマ」「ナガサキ」に似た響きを持つ地名として。

原子力発電所がたくさんの嘘で作られていることがわかった。しかも、巨額の利権が動く。そして、それは今も。多くの人々か被曝にさらされているにも関わらずだ。その力は、政界、財界の中枢をも蝕み、何の罪のない人々が犠牲となって、苦しむ者や、命を落とす者もいる。これは、狂っているとしか言えない。この国は明らかに間違っている。

原発がなくなると、電力が足らなくなる。産業に影響が出る。生活に影響が出る。というのは、第1の嘘。計画停電もその根拠がデマだったことは今ははっきりしている。ところが、テレビ、ラジオ、新聞どのマスコミも嘘を嘘としてほとんど報道しない。

インターネットがなかったら、Twitterがなかったら、facebookがなかったら、これまで通り、人々は嘘を嘘だと見抜けなかっただろう。震災そのものがなかったら、人々は騙され続けただろう。不幸にして震災が起きてしまった。

「段階的に」「将来的に」脱原発をという人がいるが、今だからこそ、今すぐ、 原子力発電所は止めるべきだ。少なくとも、その意志を確かにしてほしい。その脱原発をという人の段階を望む将来をもう既に超えてしまっていることを自覚してほしい。これ以上の犠牲を出してならない。

何故、「脱原発」ではなくて、「反原発」なのか?
もちろん、本来は同時に「脱原発」なのだが、この言葉は、「将来的には稼働ゼロを目指す」としながらも、「現状の稼働は容認する。せざるを得ない。」という曖昧な立場を含むことがあって、むしろ、「原発維持派」がそのことを利用している現状がある。

「原発の即時停止を求めることは現実的ではない。」と慎重な意見もあるが、はたしてそうだろうか。この問題は、たまたま今回の震災で大きく取り上げられるようになったわけだが、実際には、1970年代から続いてきた問題だ。昨日、今日の問題ではない。

すでに老朽化している設備も多い。安全神話も幻だった。これまでは実験でしかなかったと考えよう。国民をだまして続けられていた実験は終了した。私は即時停止を求める。停止したところで、使用済み燃料の問題が残る。これだけでもやっかいな問題だ。

 

以下、文字おこしをした文章です。

「宮台真司 脱世界会議 2012.01.15」Youtubeより。

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ぼくはここで、原発をやめることにあわせて、原発をやめられない社会をやめることを提案したいと思います。(拍手)

なにゆえならば、原発がやめられない理由は、原発が技術的に合理的だからではありません。原発をやめられない理由は、巨大電力会社の地域独占供給体制を維持する為です。

具体的に言うとこういうことになります。日本の政治は今、大変に問題を抱えていますね。日本はどこの先進国よりも、最も少ない公務員の割合です。どこの先進国よりも最も低い福祉予算の割合です。アメリカと並ぶぐらいですね。そして、どこの先進国よりも最も政府の債務、借金、GDP比でいうとこれが最も高いんです。

それはなぜかというと、未だに補助金行政をやっているからです。補助金行政とは何かというと、特別措置法を作り、特別会計を確保し、金をばらまくために特殊法人を作って、大量の天下りの座席を確保し、そしてこれを業界にばらまくんですね。業界は、まるでえさをねだる金魚のように口を開けて補助金を待っている。これは、金の切れ目が縁の切れ目ですので、縁が切れると、天下り先もなくなりますから、役人たちは、特別措置法の延長、延長、延長・・・。その結果、特別会計は、国会の審議を経ないで固定された予算になってしまっているんです。実は原子力もそうした流れの中にあるわけです。

つまり自分たちが、私達が、原子力発電をやめられない理由は、日本の政治が病的な状態にある理由とほとんど同じだというふうに断言して差し支えありません。

脱原発、自然エネルギー化は、エネルギーの共同体自治の問題です。それはちょうどスローフードが、食の共同体自治の問題であるのと同じです。

ところが日本では、残念ながら、スローフードというと、オーガニックなものを食べることや、トレーサブルなものを食べることという具合に、食材選択の問題に切り縮められてしまっています。ほうっておくと、日本における脱原発もスローフードと同じように、単なる電源選択の問題に切り縮められてしまいかねません。

簡単に言えば、巨大電力さんよ、原子力はもうやめて、集中太陽熱発電にしてくださいね。とか、そういう話ですね。

しかしこれでは、残念ながら、自然エネルギー化するべき本質的な理由、あるいはヨーロッパの国々が自然エネルギー化を通じて達成しようとしている、社会の仕組み、そうしたものに我々永久に到達できないまま、オーガニックなものを食べるために巨大スーパーに依存し、自然エネルギーを使うために、巨大電力会社に依存し続けることになります。

この依存体質が変わらない限り、今度は原発事故という形を取るかどうかはわかりませんが、やはりまた、同じような大災害を我々は経験することになるでしょう。

なので、脱原発、自然エネルギー化の問題は、私達が巨大システムにお任せするのをやめて、自分たちを自分たちでステアリングできるような、自治の社会を実現することと表裏一体であるということをお話ししたいと思いました。以上です。

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2011年9月7日日本海新聞3面の記事。